悲しくも幸せなことに僕らは未熟なのです。

 「生きているということは、そんなにも悪いことなんでしょうか」
 女の子が言いました。男の子は少しだけ吃驚しました。そんな風に返事が返ってくるとは思っていなかったからです。
 「私は今、生きているわけです。私という人間の意志に基づいて、生きているわけです。ご飯も食べます。お腹がすいちゃうと動けなくなっちゃうし。でも、ご飯って、あれ、全部生き物だったものですよ?私たち、生き物をいっぱい身体の中に取り込んで、生きてるんですよ?」
 それって、悪いことなんですか?と、女の子は聞きました。男の子は何も言えませんでした。
 「私には、そうやって生きてるのに、すぐに自分は要らないだとか、死んじゃいたいとか、言う方が悪いことだと思います。だって、生きてるんですよ?私たち」
 生きている、と男の子は呟きました。
 「生きているということは、とても苦しいことだ」
 「そうですね。死んでしまうのとどっちが楽でしょう」
 うーんと腕を組んで、女の子は考え始めました。しばらく悩んでいたようですが、答えは出なかったようでした。
 「どう思いますか?」
 女の子が男の子に聞きました。男の子は少しだけ考えるような仕草をして、すぐに、答えを出しました。
 「……死んでしまうことの方が、つらいとおもう」
 「どうしてですか?」
 「生きていてはつらいこともあるかもしれない。けれど、幸せなこともある。出会いのように。生きていることは、可能性の存続だ。……それに、死んでしまうのは、みんなにあえなくなってしまうのは悲しいし、死んでしまったらまわりの人まで悲しませてしまうだろう……」
 男の子は一息に言ってから、ぽつりと、私はそれを知っている、と付け加えました。その答えを聞いて女の子は優しく笑いました。
 「優しいんですね」
 「どうして?」
 「だって、周りの人が悲しむなんて、死んでしまった自分には関係ないことじゃないですか。優しいです」
 男の子は頬を紅くして俯いてしまいました。
 「そんなことはないと思う。ただ、悲しいのはいやだから……」
 にこにこと女の子は笑ったままでした。男の子は紅い頬を更に紅くさせてしまいました。
 「優しいんですね」
 にこにこと女の子は言いました。
 「だって、私は優しくないんです。生きていくためになら、生かすためなら、どんなことだってしてみせるんです。優しくないんです」
 言い切った女の子の顔は、少し寂しそうでした。それが無性に悲しくて切なくて、一番強い声が男の子の口を飛び出しました。
 「そんなことはない」
 男の子はすぐさま続けて言いました。
 「優しくないわけが、ない」
 「どうして?」
 「悲しそうな顔をしている」
 「……それは、気のせいですよ」
 にこりと女の子は笑いました。けれど眉がすこし下がったままでした。
 「どうして、自分にそんなに厳しくするんだ?他人にするのと同じように、もっと、自身に優しくてもいいだろう?」
 女の子はまた笑いました。僅かに俯いた顔が再び持ち上げられたとき、眉はついさっきの面影もなく、ぴっと真っ直ぐでした。
 「駄目です。私はもっと私に厳しくなくちゃいけないんです」
 瞳も真っ直ぐで、真っ直ぐに男の子を見ていました。
 「どうして?」
 「どうしてもです。私は悪いことをしてるから、自分にもっともっと厳しくしなくちゃいけないんです」
 悪いこととはなんだろう、と男の子は思いました。いつも正しい女の子が悪いことをしているなんてまったく思いつきません。
 それでも、厳しい彼女のことだから、彼女がそう言うんだったら、彼女にとってはそうなんだろう、と思いました。
 そして、それは、とても悲しいことだと思いました。
 「それでは、あなたが悲しいだろう」
 「悲しくなんかありませんよ」
 にっこりとまた笑って、女の子は答えました。その笑顔と言葉のどれくらいが本当で、どれくらいが嘘なのか、男の子にはわかりませんでしたが、少なくとも二つとも混じっている、というのはわかりました。
 「悲しかったとしても、私の代わりに悲しんでいる人がいるから、駄目なんです」
 「どういうことだ?」
 いつも人の為に果敢に立ち向かって行く女の子の姿と、話された内容が一致せず、男の子は首を傾げて聞きました。
 「私まで悲しんでちゃ、前をちゃんと向けないってことです。前を向いてなきゃ、いけないんです」
 唇を引き結んで、瞳は真っ直ぐに前を見つめていて、何か見えない何かを見据えているようでした。
 「だって、あんまり悲しんでると、疲れちゃったりしませんか?」
 女の子は男の子に力の抜けたような笑みを向けました。下がった眉が、すこしつらそうにも見えました。
 その表情と言葉に、確かにそうだなと思い、男の子は頷きました。あまりにずっと悲しみ続けていると、次第に身体も心も重くなっていきます。確かにそういうことは、前を向くのには不必要なものでした。
 「長く長く生きるのに、ずっと悲しんでばっかりだと、損してるって思いませんか?」
 女の子は男の子の手をぎゅっと握って、笑顔を見せました。
 男の子は吃驚して、目を大きく開けました。そして、女の子が自分のせいで悲しんでいることに気づきました。
 「そうだな。ずっと悲しんでいたら、新しいものが見えない。ずっと幸せに離れない」
 それは男の子がずっと悲しんでいて、女の子に自分は生きていていいのだろうかと聞いてしまったから、悲しんでいるんだと気づきました。
 そして、きっと彼女も、生きていることを悪いことなのではと悩んでいたんだろうと気づきました。
 だから、自分に厳しくいるんだろうな、と男の子は思いました。
 「生きていることを悪いことだとは思わない。けれど、生きていることを後悔してしまったら、それは悪いことだと、思う」
 そう一息に言って、男の子はぎゅっと手を握り返しました。
 女の子は吃驚して、目を大きく開けました。そして、今まで見せた中で、一番素敵に笑いました。
 「そうですね、それは悪いことでしょうね」
 「そうか」
 「ええ」
 女の子はにっこりと笑いました。
 「だって、まだ生きてる途中なんですよ?何で終わってもいないのに後悔できるんでしょうかね?」
 「そうだな」
 「馬鹿みたいですね」
二人はくすくすと笑いあいました。